2021年03月29日

【し~なチャン便り 第10話】3月11日 秋田の風景を写真に

私が初めて購入した一眼レフは「ニコンF3」という35ミリのカメラでした。秋田魁新報社に入社後すぐに写真部の先輩から購入するよう、強く推薦、言い換えれば「命令」されたものです。「プロならニコン」の一言でした。

当時の新聞記者(今も?)は、特別な企画ものは別にして「自分で書く記事では自ら撮影した写真を付ける」のが当たり前だったんです。出入りのニコン担当者から黄色の「プロフェッショナル・ストラップ」を新品カメラに付けてもらいました。五輪、W杯といった大きなスポーツイベントで、ニコンの超大型レンズをつけたプロカメラマンたちが「誇らしげに」首や肩から下げているアレです。

「プロストかぁ」。初めは気分がよかったのですが…そのうちに重荷になってきました。どうしてもピントが合わないし、シャッタースピードと絞りの感覚がつかめない。おこがましくてとても「プロ」なんて言えません。しばらくして、このプロストをそっとカメラから外したのを覚えています。
※このカメラは私の部屋に今もあり、再びプロストを装着。事情を知らない別業界の友人たちに「虚飾の過去」を自慢しています。

さて、今回のテーマは「カメラ」にちなんで「秋田の風景を写真に」。ゲストは写真家・小松ひとみさん(秋田市)です。小松さんは主に北東北の自然を題材とした風景写真を中心に、風俗や文化など幅広く活動しているプロの写真家です(小松さんのカメラは「富士フィルム」でした)。

久しぶりにお会いしましたが、小松さんは全く変わっていませんでした。初めて会ったのは20数年前、私が「男鹿支局」に勤務していたときです。知人でもある写真家・千葉克介さん(仙北市)が「男鹿の自然」の撮影ロケに、千葉さんの助手として同行。二人で支局に立ち寄ってくれたのでした。

すらっと背の高い美人。重い機材をかつぎながらも、さわやかな笑顔で現場に向かった姿をよく覚えています。

小松さんは高校卒業後、全日本代表バスケットボールチームの監督率いるユニチカからスカウトされ、実業団でプレー。8年間、膝の故障と闘いながら選手として、プレーイングマネジャーとしてチームを支えてきた経験があります。重い機材を背負ってひょいと崖を登り、息も切らさずに山道を歩く。バスケット仕込みの体力とガッツが生きていたんですね。

男鹿支局で初めて会ったとき、「助手として頑張りながら、好きな写真を続けているんだなあ」と、私は思い込んでいました。でも、そうではなかったんです。

「幼なじみが千葉さんのお店(当時は普通の写真店も兼務)でフィルム整理などのアルバイトをしていたんですが、それを手伝うことになったのがきっかけです。初めは写真家を目指しているわけではありませんでした」と小松さん。

転機は、花桃(はなもも)の群生の撮影で、福島に樹種として付いていったときのことでした。

「そこで見た花、周囲の山、朝焼け。美しい自然の姿を見て涙が止まらなかった。私も写真を撮りたいと心から思ったんです」

※写真は小松さんの写真集。「みちのく色語り」と「光彩」。私の好きな2冊です。

小松さんが撮る「桜」に心惹かれます。角館の桧木内川沿いの桜並木、黒塀の武家屋敷の桜…これらの写真から角館で生まれ育った小松さんの「桜」への強い愛情を感じます。

「春の桜の時期は一年のうちでもっとも心躍る季節。ここ十年は桜前線を追いかけています。まずは南から始めて北上する『桜行脚』が私の春の恒例行事です。自分の目で見て、自分で感じて撮る。いつまでも見ていたくなる、穏やかな写真を撮り続けたい」


(し~なチャンyoutube)

小松さんが進もうとしている新しい方向も、お話から伝わってきました。自然の風景、そこで生きる人々、職人や漁師たちの生き生きした暮らしを写真に、という思いです。

東日本大震災直後、居ても立っても居られないという思いで訪れたという被災地、宮城県気仙沼市の写真も見せてもらいました。破壊された荒涼とした風景の中に見つけた小さな花、背景に力強く咲く「桜」。

3月25日に福島でも開花が観測され、開花前線は東北地方南部に到達しました。4月に入れば東北北部、秋田でも開花が見られるでしょう。また、写真、始めようかな。プロストをつけたニコンで。相変わらず下手くそですが…

記者プロフィール

西村 修(にしむら おさむ)

元秋田魁新報記者。秋田ケーブルテレビ記者、ALL-Aアドバイザー

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