2021年11月16日

【ももふく便り 第2話】11月16日 「木内百貨店」とは

 

 1910年に創業した秋田市広小路にある秋田県民なら誰もが知っている百貨店。

その始まりは、久保田藩士の家柄だった木内俊茂氏が、「木内商店」を創業した1889年までさかのぼります。

全盛期である1970年頃には、従業員約400人、年商130億円となり、木内としてのブランドを確立しました。木内の紙袋と包装紙はその”象徴”でした。「木内で買い物をした」という証であり、秋田県民であることの「ステータス」ともされていました。

 

「1階には何十種類ものキャンディがくるくる回るマシンと、フレッシュフルーツジュースがあった。また飲んでみたい」

「優しい店員さんがいる3階のおもちゃ売り場と、楽しい音楽が流れる屋上遊園地。2つは子供の私にとっては天国だった」

「食品サンプルが並んだショーケースのある大食堂。そこで食べたチキンライス、『木内』のロゴがついた旗が立ったお子様ランチ、銀の専用台に支えられたソフトクリーム。子供はもちろん大人も楽しい場所だった」

「エスカレーターガールのいるエスカレーターで、当時ショーを行っていた芸能人とすれ違った思い出が忘れられない」

 

私が発行しているフリーペーパー「ももふく」創刊号(6月発行)では「木内百貨店」について特集しました。

市民団体がつくったフリーペーパーの創刊号にもかかわらず、この特集の反響は想定よりも大きいものでした。

私は「木内百貨店」の全盛期を知らない世代ではありますが、記事を書くにあたり多くの方の思い出話を取材しながら、華やかでワクワクする売り場を想像することができました。

「木内百貨店」は、秋田県民にとっての「特別な場所」として、それぞれの色濃い思い出の1ページになっているのだと感じます。

 

士魂商才の人 木内トモ社長

「木内百貨店」を語る上で、欠かせない人物の一人に2代目社長の木内トモさんがいます。

トモさんは、1950年に夫の木内隆一氏の死を受けて当時の合資会社木内雑貨店2代目社長に就任しました。

トモさんが社長の代に、合資会社木内に改称し、百貨店としての営業を開始しました。

また鉄筋コンクリート造3階建に増築し、秋田県内初となるエスカレーターを設置するなど県内随一の華やかな木内百貨店の基礎を築きました。

トモさんが「伝説の女傑」と呼ばれたのは、そのずば抜けた商才だけではなく、芯のある強く温かい人柄にもありました。

従業員に嫁いできた女性を本宅に招き、面倒を見たり、従業員の子供が小学校にあがるときには売り場で一番良いランドセルをプレゼントしていたそうです。

また長年にわたり若者たちに匿名で学資を支援し、各界に多くの人材を送り出しています。

「木内百貨店」を取材する中でトモさんのエピソードを多く耳にし、こんなにも商才にあふれ、信念と優しさが垣間見える女社長が秋田にいたことを誇りに思います。

木内トモさんをはじめ、多くの優秀な人材とチャレンジ精神のもとで「木内百貨店」は「秋田の三越」と呼ばれるまでに成長していきました。

「木内百貨店」は秋田県を代表するデパートとして、「思い出の百貨店」から「伝説の百貨店」になっていくのだと感じています。

記者プロフィール

豊島春香(とよしまはるか)

秋田県秋田市出身。会社員をしながら、県内発行シニア向けフリーペーパー「ももふく」の編集長をしています。 ももふくHP:https://akitamomofuku.com/

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