2021年02月01日

【し~なチャン便り 第1話】1月7日 わくわく「正月号」~新聞って面白い

秋田ケーブルテレビ(CNA)の情報番組「し~な(CNA)チャン」(月~金正午 生放送)。番組はシニア世代が主役。生き生き活動するアクティブ・シニアをゲストに招き、若者世代も加わって、にぎやかに生放送でお届けしています。この番組で、私は「木曜日コメンテーター」をしています。
懐かしの昭和、刺激にあふれた平成の時代を振り返りながら、ゲストとの楽しいトークを繰り広げる45分間。本コラム「し~なチャン便り」では、木曜日を中心に番組の舞台裏を紹介。「令和のアクティブシニア」になるための面白情報、秋田で楽しく暮らすための『ノウハウ』を発信していきたい、と思います(西村 修)。
◇ ◇ ◇

新しい年、令和元年。初回1月7日のゲストは秋田魁新報社整理部長 中田貴彦さんでした。私も前職は秋田魁新報記者ですので、彼は後輩にあたります。私と違って優秀な新聞記者です。

ところで皆さん、中田さんが部長をつとめる「整理部」ってご存知ですか?一般の会社ではない部署なので、ちょっと耳慣れない言葉かも。
記事の見出しやレイアウトを考え、実際に紙面を作るのが「整理部」。より読みやすく、より分かりやすく情報を伝えるための中核となる仕事です。整理部記者は例えるなら「腕利きの料理人」。記者が書いてきた記事、つまり「素材」を最大限生かし、「紙面」という「お皿」にいかに魅力的に盛り付けるかが腕の見せどころ、というところでしょうか。

番組では、バリバリの現役中田さんと、ちょっと色あせたOB・ロートルの私が新聞の「正月号」についてトーク。

魁の「正月号」といえば、大きな青い袋に入って元日に届けられる、あの分厚さが特徴です。1973年(昭和48年)の「 116ページ」は日刊紙としては当時の新記録。以来、毎年100ページを超えるページ数を続けている、といいます。
あまりの厚みのために郵便受けには入らないので、雨や雪で汚れないように特別に青い袋に入れてお届けするようになったとか。確かにあの厚みでは普通の郵便受けに入りませんよね。
個人的な体験でいえば、子供のころの元旦の朝、早起きして新聞配達のおじさんを待つ…「おめでとう、正月号だよ」。おじさんの声に玄関に行くと、手渡してくれた分厚い青い袋。お、重い…「あぁ、正月なんだ~」と晴れやかな気分になったのを思い出します。

(画・西村)

 さて今年の本冊「第1部」(今年は計5分冊)の1面トップは「広小路、ホコ天に」「9月、全県の物産販売 秋田商工会議所」。
中田さんたち整理部記者がつけてくれた主見出し「ホコ天」という言葉に、「昭和生まれ」の私はついついニンマリしました。「ホコ天」って「歩行者天国」のこと。昭和全盛期、イケイケの70年代のキーワードです。記事の本文に「ホコ天」という言葉は出てきませんから、これは手練れの整理記者がつけたんですね。なかなかやるな、整理部!!
記事では「JR秋田駅前の中心市街地を貫く広小路を歩行者天国とし、全県から物産を集めてテント販売する「広小路バザール」(仮称)が、今年9月に初めて開催される。広小路のかつてのにぎわいを取り戻そうと、秋田商工会議所(三浦廣巳会頭)が中心となって企画。来年以降は年4回の開催を目指す(秋田魁・引用)」と伝えています。
広小路に「ホコ天」が復活するんですね。最近、どうも元気のない秋田。再び、あの70年代の活気が戻ればなあ…

秋田市の広小路通りが「歩行者天国」になったのは昭和45(1970)年11月3日文化の日。この年の8月。東京(銀座・新宿・池袋・浅草)で初めて歩行者天国が実施され、テレビ放映されたのを今も覚えています。秋田市広小路の第1回歩行者天国では「延べ5万人の人出」があった、といいます。「5万人」ですよ…
ただ、交通渋滞の悪化などを理由に、74年以降は行われなくなっていました。2013年に「与次郎駅伝」が行われるまで、広小路では通行止めを伴うイベントは開かれていなかったんです。それが今度は「ホコ天」として復活するという、正月号1面トップの明るいニュース、元気づけられますね。

昭和45年当時はフォーク全盛時代でした。知人からお借りした写真を転載します。

(秋田市 越前谷 潔さん提供)
(秋田市 越前谷 潔さん提供)

 広小路の真ん中でフォーク演奏を楽しむ若者たち、周囲に群がる昭和の子供たち。多くの買い物客が行き来し、道路に設置されたベンチに座ってくつろぐ人、車が通らない広小路をゆっくりと散策する人…。写真からは、ゆったり時間が過ぎていった「あの日のホコ天」の空気が漂ってきます。

シニア記者プロフィール

西村 修(にしむら おさむ)

元秋田魁新報記者、秋田ケーブルテレビ記者、ALL-Aアドバイザー

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